俳句の現代語的口語表現


 松山は俳都といわれ、子規をはじめ、虚子、碧梧桐、草田男、波郷等、近代 俳句を築いた人達の出身地なのだが、子規全集を読むと、子規を囲むこういった 俳人達とは別の道を歩いた人物に引かれる。子規の松山中学(現在松山東高校) 時代の友人、三並良と秋山真之とである。三並良は、一高(現在東大教養学部) 教授を経て、旧制松高(現在愛媛大学)教授となり、当時日本におけるドイツ語 の第一人者といわれていた。秋山真之は、大学予備門(現在東大教養学部)を経 て海軍兵学校を卒業、二年間のアメリカ留学を経験する。日本海海戦で東郷平八 郎の参謀を勤め、ロシアのバルチック艦隊を打ち破ったことで有名である。この 二人はともに、外国語が堪能で文才豊かであったと思われる。子規は英語が苦手 であったが、少年時代からこのような友人に囲まれていたので、外国語の自信を なくしたのであろう。子規の英文芭蕉論 "Baseo as a Poet"(「詩人としての芭蕉 」明治二十五年)は、おそらく英文での芭蕉紹介の最初のものであろうが、子規 もまた、三並良、秋山真之と同じように外国語に勝れていたと思われる。この芭 蕉論には、芭蕉の俳句十六句が英訳されているが、そのなかに「古池や蛙飛びこ む水の音」の訳もあり、その後の英国人学者らの訳と比較してみると、簡潔な子 規訳の良さがよくわかる。
 子規以来、日本の俳句の海外への紹介は、さまざまな形で行われてきたが、 最近では、外国語のオリジナルな俳句が盛んに作られている。日本よりアメリカ の方が俳句人口が多い、といわれるようになった。二十年前の昭和四十三年から 四十五年にかけての三年間、「Haiku Spotlight」という英語俳句の定期刊行物 を発行して、私自身も世界の人達と交流していた。そのときの言葉の上での壁は 、想像以上に厚く、さまざまな困難に出会った。詩としてのリズム(律動)、英 語やドイツ語の冠詞、テンスとアスペクト、といった問題である。
 日本語の俳句の十七字は、英語俳句では、十七シラブルということになるが 、リズムを間題にする場合は、「拍」がシラブルであるということになり、この 「拍」(syllable)の違いが、日本語の十七字と英語の十七シラプルの対応を困 難にしている。日本語は、高低アクセントであり、英語は、強弱アクセントであ る。そのために、日本語の拍は、基本的に同じ長さであり、拍と拍のあいだに間 が生まれ、その間の長短がリズムを作っている。もっとも、この間の長短そのも のがリズムではない。一方英語は、強弱アクセントのために拍(syllable)その ものの長短がリズムを作っている。英詩のリズムを構成する要素のfoot(音歩、 韻脚)は、この拍の強弱・長短、あるいは弱強・短長等という一まとまりによっ て成り立っている。この英詩の音歩に対応する日本語俳句の音歩は、拍そのもの の長短ではなく、二拍か一拍かの数によって長短を意識する。二拍の一音歩は長 であり、一拍の一音歩は短ということになる。「古池や・蛙飛びこむ・水の音」 は、(2210│2122│2120)という拍の数え方をして、音歩の数は、 4・4・4の12となる。英語俳句と日本語俳句との対応のさまざまな試みにも かかわらず、やはり言葉の上での壁は厚く、基本的に相容れない困難を感じた。
 英語の冠詞は、日本人がよく間違うもので、俳句での困難は、リズムの場合 と同様であった。格助詞の「が」は、不定冠詞に、副助詞の「は」は、定冠詞に 英訳するという基本がそれほど簡単ではなかった。テンスに関しても同じで、過 去や完了を学校文法通りにしていたのでは、意味をなさなかった。こうした言葉 の壁のために、英語俳句は英語を話す人達(native speaker)に任せるほかはな い、という結論となり、出来ることなら、新しい英語俳句のために新しい英語文 法が出来てもよいのではないかと願うようになった。
日本の俳句は、文語表現が主流であるが、俳句人口の点では、アメリカの英 語表現の方が多数であるといえそうである。日本の口語表現は、全くの少数で文 語表現の1%にすぎないであろう。ところが、英語俳句の問題、つまり俳句の英 語表現の問題が、現代語的口語表現の場合にも全く同じような難問となって現わ れてくるのである。十七字に関わるリズム、英語の冠詞に対応する日本語の助詞 、テンスとアスペクト、といった難間である。
 俳句の十七字定型は、もともとは文語で育ってきた文語のリズムなので、俳 句定型には文語表現が適しており、現代語的口語表現は不向きである、という考 えが日本の俳壇を支配している。実作においても、明治末期の新傾向派以来、新 興俳句、前衛俳句等の人々によって多くの試みがなされてきたが、成功した例は 稀である。

 水枕ガバリと寒い海がある 西東三鬼
 除夜の鐘頭の奥の奥で了る 篠原梵
 梅咲いて庭中に青鮫が来ている 金子兜太

 これらは、現代語的口語表現の成功した例である。
 日本語の助詞の問題、つまり格助詞の「が」「の」と副助詞の「は」の扱い も厄介である。文語表現では、主格を表わす助詞をあまり使わずに、「蝉が鳴く 」を「蝉鳴く」とし、蝉が主格であることを文脈によって判断させている。口語 表現のテンスの問題も単純ではない。文語表現では、過去の「き」「けり」、完 了の「たり」「つ」「ぬ」「り」といった言葉が豊富にあるが、口語表現では、 それらがすべて「た」一つで済まされているので、少々荒っぽく、これもまた別 の意味で厄介である。口語表現のこうした問題を、更に実例を上げて述べてみよ う。

 月の城山を見上げ大学は暗い

これは私の口語表現の句で、副助詞の「は」が句会の席上で間題となり、多数 の人は、次の例句の場合と同じ対比の「は」と解釈した。

 お正月よ勝手に廻れ俺は俺で廻る 藤後左右
 子供用のプールの色は甘いブルー 川本征矢

 私の城山の句の「は」は、実は対比ではなく、題目の「は」でなくてはなら ない。この句で、大学を、高校あるいは官庁・企業などと比較して「暗い」と言 っているのではない。この句は、写生句であって私の身辺を詠んでいる。私がい ま立っている、ここにある私の「大学」を取り出しているにすぎない。この違い は、金田一春彦氏の助けを借りると、一層はっきりするであろう。それによると 、対比の方は、「ほかのものとちがっている、という客観界の記述」であるが、 題目の方は、「話者が主観として取り出す」ものであるということになる。副助 詞の「は」を対比と題目の両方に分属させたのは、金田一春彦の発見で私見なの だが、私の句の解釈には、なくてはならない文法理論である。私の句の「大学は 」では、対比でなく題目の「は」でなくては、作者の気待を伝えることができな い。私の俳句の解釈にとっては、この文法理論が、金田一春彦一個人の私見では なく、学界の定説になってもらいたいと思っている。このことは、俳句の英語表 現の場合と同じで、俳句のための新しい英語文法を望んでいるのと同じように、 現代語的口語表現の俳句のための新しい日本語文法を待ち望んでいる。

 城山が見えている風の猫柳 川本臥風

 松山市持田の旧制松山高校跡に句碑として建っている私の恩師の句である。 この句碑の除幕式が行なわれた式上で、愛媛大学国語学の武智雅一教授が、もと もとこの句は、

 城山の見えいる風の猫柳

であったと指摘された。文語表現であったものを、句碑にするときに作者が口 語表現に作り変えたというのである。なぜ文語表現を口語表現に変えたのか。こ の点を明きらかにすると、俳句の古典語的文語表現と現代語的口語表現との違い を浮き彫りにすることができるであろう。
 文語の格助詞「の」に比べると、口語の格助詞「が」は、音がきれいではな い。文語表現の句は、五・七・五の定型を守って格調が高いが、口語表現に変え た句は、五・八・五の十八字で破調である。形式の上では、明きらかに文語表現 の方が勝っており、口語表現の方が劣っていることは否めない。それでは、なぜ 、敢て格調の高い文語表現を捨てたのか。それは、句の内容の問題であり、作者 の心境に関わってくることなのである。表現形式よりもその表現の以前にあるも の、作者の感動や心境に、作者自身が重きを置いているからなのである。文語表 現の「城山」の句は、観光旅行の途中で見た観光地の城山を詠んだものと見てよ いが、口語表現の「城山」の句は、作者の日常生活のなかでの身近な城山を、家 庭あるいは職場での生活の日々に見ている城山を詠んでいる。作者は、城山や猫 柳に、しみじみとした親しみの情を抱いており、日々の心を通わせている。深い 心とは、決して特別なものに向けられているのではなく、身辺の事物に向けられ て深いということなのであろう。「城山」の句を文語表現から口語表現に変えた のは、日常での新しい感覚や角度、日常での感動や心境といったものは、日常普 段のことば、口語表現でなくては言い表わせないと作者が判断したからだと思わ れる。口語表現の俳句で成功したいくつかの例を紹介したい。私たちの月刊雑誌 「水煙」の俳句仲間のものである。

 白蝶と思い平凡に白と思い 高木和蕾
 意表つき名もない山から月が出た 中村杞三花
 来たぞ来たぞいつもの目白が蜜吸いに 高橋正子

 これらの句では、作者の日常が、「平凡に」「名もない」「いつもの」とい った言葉で強調され、日常生活における、その現在の心境を過不足なく表現して いる。このように特別でない日常を表現するのに、口語表現は相応しいのである 。
 芭蕉の遺語に「俳諧は平話を用ゆ」とある。平話は、当時和歌で使っていた 詩的な言葉でなく、日常的な言葉のことである。俳諧は俗な言葉を使用した。こ のことは、「高くこゝろをさとりて俗に帰るべし」、あるいは「虚に居て実をお こなふべし」といった芭蕉の教えの実践なのである。日本の現俳壇では、古典語 的文語表現の句が多いが、この現状は、芭蕉の教えと大きくずれていると言わざ るを得ない。
 さらに日本人の精神史全体のなかで俳句の口話表現を考えるならば、どのよ うなことになるのか。子規が、「草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生 して居ると造花の秘密が段々分って来るやうな気がする。」と言っているのは、 芭蕉が、「松の事は松に習ヘ、竹の事は竹に習へ」と弟子に教えているのと本質 的には同じであり、また時宗の祖として知られている捨聖一遍が、「華の事は華 にとヘ、紫雲の事は紫雲にとヘ、一遍はしらず」と語っているのと同じであろう 。これらのことは、結局日本人の古くからある思惟方法と全く同じものであろう 。『比較思想論』というユニークで綿密な業跡をなしとげた中村元氏が言ってい る「与えられた現実の容認」ということなのである。西洋の思想においては、神 と人との間には絶対の断絶があるが、日本の場合には、絶対のものを現象界の内 においてとらえようとする。その考え方はすでに古神道にも見られる。たとえば 山があればその山を御神体として拝み、川があれば、川の神をあがめる。この日 本的「現実容認」は、また、仏教の方でいう「色即是空」と根本のところでは同 じであろう。この論理は、単なる理想主義や主観主義を否定しており、現実の世 界にこそ真実がある、とする考えであり、真実は、他ならぬ現実の世界に見るこ とができるとする態度なのである。日常の現実を詠んでいこうとする俳句の口語 表現は、日本人の古くからの、こうした考え方や態度に支えられていると言って よい。
 古代神道から一遍、芭蕉、さらに子規に至るまでずっと続いてきた日本人の 「現実容認」という考え方に従って俳句を作るならば、特別な研究や勉強の必要 はない。日常の現実は、じっと見ていれば、その本質が分ってくるもので、現実 と自分との正直で生まの出会いの感覚で作ればよいのである。そのための最も相 応しい言葉として、現代語的口語表現がある、と言い切ってよいであろう。