句集の序文/高橋信之

[高橋正子句集「花冠」] [碇 英一句集「冬満月」] [霧野萬地郎句集「サファリ」] [戸原琴句集「空の青」] [吉田 晃句集] [相原弘子句集「気流」] [北村ゆうじ句集「初商い」]


 


高橋正子句集「花冠」



序 高橋信之

 正子さんの俳句は、インターナショナルであり、イ
ンターネットである。

   ベルリン
  カスターニエの青き実曇天よりもげば
 
 この句は、ドイツの句会に家族で招待されたときの
もので、カスターニエと曇天というドイツの風土にふ
さわしい言葉を使って、季感溢れる風景を詠むことに
成功した。この句には、季語はないが季感があって、
その奥の風土と自然を捉えた。ものの本質を見たので
ある。日本の風土に捕らわれずに、ドイツの風土を確
かな目で見た。ここがインターナショナルである。

  パソコンを消して露散る夜となりぬ

 海外の俳人たちとの交流は、三十数年になり、イン
ターネットでの俳句交流も長い歳月を経て、自らの句
を育てている。

  来たぞ来たぞいつもの目白が蜜吸いに
  野ばら咲く愛のはじめのそのように
  スイートピー眠くなるほど束にする
  白バラの空気を巻いていて崩る
  胸うちに今日の夏野を棲まわせる

 これらの句は、俳句が詩であることを教えてくれる
。言葉のいきいきとした律動があって、紛れもなく詩
である。在り来たりの五七五という音数律に縛られた
ものでなく、作り手自身のリズムがあって快い詩情が
伝わってくる。
 正子さんの俳句の基本を指導したのは、川本臥風で
、その先生が臼田亜浪なので、その影響を素直に受け
た。自由であって、ものの本質を見ることを学んだ。
さわさわと吹く風に深さを感じ取るように、句がさわ
さわとして深いのは、その成果なのである。

  さわやかに行きし燕の戻り来る
  春の蕗提げしわれにも風が付く
  わが視線揚羽の青に流さるる
  天草の乾いた軽さを腕が抱く

 本句集の代表句を挙げるすれば、

  水に触れ水に映りて蜻蛉飛ぶ

を採ることに、躊躇うことはない。俳句の「まこと」
を読み取ることができるので嬉しい。

 平成十五年早春

  

 


碇 英一句集「冬満月」



序 高橋信之 

 平成七年一月十七日の阪神淡路大震災の体験があって
、碇英一さんの俳句は、その姿を明らかにした。

 寒暁の腑を突き上げて地震(ない)襲う    
 炊き出しの熱さを配る若布汁
 黒めける帽子外套靴リュック

 生活の姿勢がはっきりしていて、情に流されていない
内面の強さがある。この強さが英一さんの優しさを支え
ている。英一さんは、障害者の教育に一つの道を歩み、
定年を迎えた。勤務先の「さつき学園」では、

 五月雨に明日の旅行を尋ねる子

 市立伊丹養護学校の卒業式では、

 教師押す車椅子六つ卒業す

 保母さんの働く姿を詠んで、

 落花掃く新卒保母の靴真白

などがあって、生活が正直である。英一さんの優しさと
いえば、

 分け合うてコスモスの花挿しおりぬ
 嬰の笑み皆に広がる秋灯下
 幼稚園ボードいっぱい栗の絵を

などの句があって、作り手の暖かさが伝わってくるが、
季節を詠めば、
いきいきとした世界が拡がる。

 冴え返るあくまでも空青々と
 ばりばりと清しき胡瓜の固さ食む
 新藁を積みしトラック村下る

 英一さんの句を解き明かす鍵は、そこで語られている
「一」にあろう
かと思う。「一」を語る句に秀句が多い。

 決断の熊蜂一直線に消ゆ
 一山を越えしばったの翅を閉づ
 馬走る同一円や冬の馬場
 レモン一つ冷たき丸さを渡される

 確とした「一」を見ている眼は、とんぼの姿を見て、

 とんぼうの止まるは同じ傾きに
 真直ぐ来て直角に蜻蛉飛びゆける
 夕風のとんぼの加速水平に

と詠むが、「同じ」ものとは、「一」なるものに違いな
い。しゃぼん玉を詠んでも、春の雪や夏のばらを詠んで
も、

 流れても流れても吹くしゃぼん玉
 降って見せ晴れて見せして春の雪
 夏の夜のばらは芯もて咲き通す
 あめんぼう磁石はいつも北を指す

と、ひとつの筋を通している。英一さんのこうした内面
生活は、明らかに学生時代からの教会生活から得たもの
であろう。英一さんの師は、関西学院大学院長の久山康
氏である。

 教会へ白山茶花のそばを通る
 桜落葉の参道抜けて教会へ
 笹百合の香りの満ちぬ礼拝堂
 秋静か一切委(ゆだ)ぬ祈りせり

 本句集の代表句を挙げるとすれば、躊躇することなく
、次の句である。

 立ちしものに光りを注ぎ冬満月

 この句は、英一さんの良さのすべてを見せてくれる。
心の姿がよいのである。

  平成十四年夏

  

 


霧野萬地郎句集「サファリ」



序 高橋信之

 アフリカ、アメリカ、ヨーロッパ、アジア、オセア
ニア、そして中国を詠んで、句集「サファリ」は、ひ
ろびろとした世界を見せてくれる。世界の殆んどを俳
句でもって生き生きと描き、散文では表現できない書
き手のリアルな感情が伝わってくる。海外で詠まれた
俳句は多いが、その多くは生活の実感を持たないもの
なので、海外詠の「サファリ」は、稀有の句集となっ
た。
 
 吾子生まる蝶群舞する病院で 

 これは、本句集冒頭の句で、吾子誕生という生活体
験が「蝶群舞する」アフリカと結び付き、従来の俳句
では見られない珍しいものとなったが、生活の強い実
感があって、読み手に訴えてくるものがある。アフリ
カ・タンザニアの首都、ダルエスサラームの句である。 

 バケツ持ち潮干へ子等と日を過ごす 

 この句もアフリカ・タンザニアでのもので、家族と
過ごす生活が見えて、いい実感である。 

 虹かかる地平線行く象家族
 親を追う茂みに小象見え隠れ 

 アフリカのサファリである。広大な自然公園での探
検旅行だが、「象家族」に人間の家族を読み取れば、
句がいきいきとして迫ってくる。 

 秋深しサザンクロスは斜めに置けり 

 南アフリカ・プレトリアで詠んだ南十字星の句だが
、日本では見られない風景で、本句集で詠まれた世界
の広さを知らされる。
 アメリカでの俳句は、アフリカとは違って、都市で
あり、雪であり、その違いに、本句集の世界の大きさ
を知ることができる。 

  シカゴ
 都市の灯と月が湖上に揺れている
  ニュージャージー
 今朝は先ず車掘り出す雪仕事 

 アメリカの代表的な風景も俳句となって収まりがい
い。 

  ナイヤガラ
 濡れてなお瀑布を空に見上げたり
   ミシガン湖
 タンカーの灼いた巨体を水門へ
  イエローストーン国立公園
 バイソンの肩に霧濡れ駆け抜ける
  サンフランシスコ
 坂上る路面電車の霧に消え
  ハワイ・オワフ島
 水平線パイン畑のその先に 

 ヨーロッパでは、アメリカとは違って、その歴史の
ある風景が俳句となる。 

  イギリス
 風光るヒースの丘の遺跡かな
  ドイツ
 ローレライより曲がり来て風涼し
  スイス
 秋深し宗教改革生みし寺
  イタリア
 ゴンドラの舫う駅前卯波立つ
  スエーデン・ストックホルム
 息太く雪踏み喘ぐ黒き荷馬
  フィンランド・ヘルシンキ
 春寒や子の洗礼に大家族


 アジア、オセアニア、そして中国でも、海外の生活
があって、お座成りの観光俳句ではない。その地の歴
史を詠む確かな眼がある。 

  南京
 うそ寒し南京虐殺記念館
  西安
 楊貴妃の湯浴みし辺り人暑し
  ベトナム・ハノイ
 ベトナムの戦争博物館暑し
  インドネシア・ジャカルタ
 年歩む亡父の戦地はなお奥地
  ネパール
 寺うらら仏もラマもヒンズーも 

 海外詠といえば、昭和十一年のことだが、高浜虚子
のヨーロッパ旅行の句があり、また、平成七年に発刊
された角川書店の「世界大歳時記」があって、この歳
時記は、海外詠のすべてを網羅しているが、これらの
句と比べても、萬地郎さんの海外詠俳句は、生活の強
い実感があって、そこが違うのである。
 萬地郎さんの俳句の良さは、その個人的生活体験か
ら来たもので、良い俳句は、良い生活から生まれるも
のだ、ということである。大きな世界を俳句で捉える
ことに成功したのは、多くの技巧が無く、また野心が
皆無であったからで、それが幸いし、読み手の感性に
強く訴えてくる。萬地郎さんは、軽がると世界を表現
し、俳句の力を充分に引き出した。
 萬地郎さんと私との出会いは、インターネット上で
、私たちの雑誌「水煙」のホームページに投句された
ことから始まった。萬地郎さんのインターナショナル
な俳句は、インターネットとうまく繋がって良い方向
に向かっているが、その精神が柔軟で、とらわれが無
いからである。よい生活があるので、芯がしっかりし
ている。 

  杭州
 蓮の実の飛ぶ平らかな朝の湖
  香港
 朝霧の晴れて艀の先ず動く
  ネパール
 ヒマラヤの青空に舞う地の吹雪
  インド・ニューデリー
 象御して裸少年街を行く 

 これらの句に、作り手の素直で静かな内面世界を読
み取る。広大な世界の中へ出て、心が素直で静かなの
である。これが日本の心であろうかと思う。 

 平成十四年浅春

  

 


戸原 琴句集「空の青」



 序 高橋信之

 琴さんの俳句は、根っからの自由で、そこに強さを
秘めている。そして、楽しい。

 春愁やあご髭があればとなでてみる
 夢中になれることあり空豆をむく
 サラサラと生きるのが良し星祭る

 自由であれば、何事にも明るく美しく振舞う。

 音涼し水の中にて花を切る
 外国への荷物にそえし紙風船
 こんもりとした明るさに楠若葉

 琴さんは、ものを真っ直ぐ見ているので、その本質
が見えている。

 シャボン玉息吹き込まれ生まれしもの
 朝市のぶどうの葉にのせぶどう売る
 もみじ葉の触れ合う音も降りて来ぬ
 雪すべて降らせて戻る空の青
 
 これら句が世に出て多くの方々に喜んでいただける
ものと思い、句集「空の青」を推奨する。

 平成十五年四月

  

 


相原弘子句集「気流」



序 高橋信之

弘子さんの句が明るいのは、作句の対象に素直だからで
、身近な生活の中から拾い上げた現代語的口語表現の俳
句がいい。

縞立てて西瓜を車内へ持ち込める
山積みの大根をこれから洗う

これらの句にある内面の強さは、弘子さん生来のも
のだが、日々の精進によっても育てられている。日に
十句を欠かさず作って、インターネット上で発表する
日々の精進は、真似の出来ないもので、そこから生ま
れた句に、

穂を持って麦は青さを日に返し
ゆっくりとしている時間草は実に
元日の入日大きく胸へ寄る

があり、いい心境である。
弘子さんの句には、わたしの家族を詠んでくれたのが
少なくない。娘の句美子を詠んで

砂浜にはだしになって沖を見る

の句がある。弘子さんとは、家族ぐるみの長いお付き
合いで、私たちの俳句雑誌「水煙」を支えてくれてい
る。私たちの俳句の座、感性の共同体を支えてくれて
いる。

平成十三年三月

  

 


北村ゆうじ句集「初商い」



序 高橋信之

ゆうじさんと私の出会いは、インターネット上で、
私の主宰するインターネット俳句コンテストへの初投
句がいきなりの金賞であった。

包丁のつめたかりけり初商い

この句は、平成十一年冬のコンテストで受賞したも
ので、句集「初商い」の第一ページを飾っている。
 ゆうじさんの秀句は、仕事の句に多く、職場俳句、
生活俳句を得意とする。東京板橋の焼き鳥屋を生業と
され、近くに自宅を持っておられるので、そこが生活
の拠点である。

包丁だこ手にしみじみとお元日
備長炭(びんちょう)も我も頑固よ土用くる
汗涼し我が生業の好季節
焼き鳥も売れて上々ビール汲む
定年の無きこと好しとうなぎ焼く
北吹いて焼き鳥の香を遠くまで
あかあかと備長おきる北吹く中に

職人気質の一徹さがゆうじ俳句の芯となって、読み
手に強く訴えてくる。生活の良さである。
ゆうじさんのお店は、すべてが家族だけでの切り盛
りなので、その絆が強い。

バンダナの子と汗分かちうなぎ焼く
踏青や歩幅あわせる妻がいる

妻を詠んだ句は、その他にも

妻ももう若くはないな新茶汲む
春泥をつけて山より妻かえる
梅雨明けや妻が青嶺を恋しがる
パソコンキーを秋夜の妻はゆっくり打つ

があって、ゆうじさんのいい生活を見せてくれる。仕
事や家庭の俳句とは違って、楽しみの山登りの句もい
い。

夏山へ始発のホームにザック置く
青嵐この村ぬけて登山口
妻の手をしっかり握る残暑の岩場
山小屋の夜風肌さす星祭り
夏雲のみるみる育つ八つ連峰
 
ゆうじさんは、信濃の出身で、少年時代の級友や師
をあたたかく詠んでいる

級友に会うて信濃の紅葉狩り
白髪の師の手に温み雪解ける

という句では、職人気質の一徹さにある人間らしさを
見せ、嬉しい句である。
また、俳句の道への手ほどきをされた師への敬愛の
念が俳句に残され、強く胸を打つ。
 
横田矢凪先生を見舞う
癌見舞う手を握るのみ石蕗の花
平成十二年十二月十九日、横田矢凪先生逝く
師走の受話器置いて涙のとめどなく
今日からは先生の居ない北風に歩く

ゆうじさんの俳句の良さは、一貫して流れている人
間らしさであって、その人間らしさの生きた現代語的
口語表現の句も見逃してはならない。インターネット
で育った俳句の良さでもあろうか。

前向きに話してみろよ桜も咲いた
白れんの明るい街に靴を買う
ドカンと一つ仏壇の夏みかん
秋茜一緒に下山しませんか
マンホールこんな中から秋の声

ゆうじさんの句のレベルの高さは、この一句を読め
ば、充分であろうと思う。私の推薦する一句である。

美(は)しきものみな地に返し山眠る

平成十三年初夏 松山 高橋信之

  

 


吉田晃句集解説



只者ではない 高橋信之

吉田晃さんは、小学校の校長先生で、外見は厳つい
体育の先生だが、その俳句のやさしさには誰もが驚く。
掲載句の第一句、それに続く第二句、

下校児を丸く包んで春茜
影濃くて春の動きの鬼ごっこ

そして、第四句、

怪我させて涙のごめんね春立つ日

を読めば、作者の視線がまっすぐに子ども達に向けら
れているのが一目瞭然であり、何よりも先ず子ども達
のこと、そのことが俳句の優しさとなっている。
晃さんの作句の力となっているのは、ふるさと志向
である。南予という山に囲まれた四国のふるさとなの
である。

青みかん持てば故郷の陽の温み
二人がけの机でドングリ回した日
 
村を詠んで、高い水準の句がある。内面の深いとこ
ろを詠んで只者ではない。

空だけが動いている蒲の村
月青き村を黙して影行けり

晃さんと私との出会いは、インターネット上で、
ヴァーチャルな世界だが、今では、楽しい酒を酌み交
わす仲となっている。

うまおいが来るパソコンの明るい部屋

パソコンを詠んで秀句であり、稀な句である。
吉田晃さんは、文武両道をこなすマルチな先生で、
これからの教育を任して安心の出来る校長先生でもあ
る。

  

水煙ネット