句集の跋/水煙俳句叢書

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堀佐夜子句集「はなむろ」に思う/高橋正子


 しゃぼん玉記憶の空にはじけずに

 しゃぼん玉が記憶の空にはじけない、とはどういうことであ
ろう。しゃぼん玉は、空高く飛んでいって、決してその丸いき
れいな色や形が壊れることはなかったというのであろうか。思
い返すその空高くまで飛んで行くこともなかったというのであ
ろうか。「はじけずに」の言い終わりに淋しさがある。

 眠りても十六夜の月光胸に

 十六夜の月を見て、眠りについても、その少しさびしい月の
光りが、いつまでも胸内にあるのである。

 光るものひとつ身に付け冬の街へ
      
 「光るもの」を身に付けているのは、作者自身とし、それを
明示するために字余りになるが添削した。コートの胸元に金の
ブローチなど、光るものでささやかに身を飾って街へ出かける
。そこにしっかりと自分があって、自分自身の身の飾りを楽し
んでいるのがよい。

 春日傘いつもの人が曲がる影
        
 そろそろ日差も強くなって、日傘が欲しくなってくるころで
ある。毎日お使いに通る人が、今日は日傘を差している。日傘
を差す人は角をすでに曲がって、日傘の影が最後に残って角を
曲がったのである。日常の何気ない光景に、季節が進むのを感
じているのがよい。

 道の辺の蚊帳吊草のわかわかし
       
 蚊帳吊草の葉が、すっきりとして、明るい緑色の葉が、わか
わかしく感じられ、嬉しい気持ちになる。梅雨どきの蚊帳吊草
の涼しさがよい。

 降り足りし空の紺青桃熟るる
        
  降り足りた地に対し、空はすっかり晴れて紺青の色を広げ、
地も空もそして桃が熟れて、恵みに潤っています。そんな時が
あることが素晴らしいのです。

 ストーブの炎明るい空色に
          
 ストーブの炎が清らかですがすがしく、童話詩のような明る
さとやさしさがある。こういう炎を見ていると心が満たされる。

葱太く畝真っ直ぐに清潔に
           
 冬の畑で目にして、寒さの中で溌剌としているもの、新鮮な
ものには、魅力がある。青い葱のたくましさと清潔さは、萎縮
しがちな気持ちに元気をくれる。

種まいて空の大きさ見る農夫
          
 種蒔きを終えて、安堵の息遣いで空を見上げる。うす曇りの
春の空だろうか。種蒔きをした畑や空が広々として気持ちが晴
れる。

夕日背になずな鳴らして家路の子
         
 童謡詩のような句。夕日を背に、なずなを鳴らしながら帰る
野の道が、なつかしく、優しい色合いで受け止められる。(高
橋正子) 

たて髪の奥の馬の目涼しくて

 涼しげな馬の瞳に、馬のやさしさが感じられます。さっそう
と駆ける馬の姿もいいものですが、走らない馬の静かで涼しげ
な瞳は、だれもに愛されてよいのではないでしょうか。

露草の青い空気へ車椅子

 車椅子の高さの位置に、自分が居ることによって、初めて感
じ取れる「露草の咲く青い空気」は、感覚的な捉え方。澄み渡
った秋の空気そのままの句。   

竹涼し青き日差しの幾筋も

 「すずしさ」というのは、こういうことを言うのであろう。
精神的な涼しさへとつながっているところが、凄い句である。

夕づきて畑の一角茄子の花

 夕づくころの涼しさが、茄子の花で、実感できます。とても
美しい時間ですね。茄子の花がいきいきしています。
 
八月の満月近し門扉閉ず

 「満月近し」は、ほぼ満月ということで、「近し」は、曖昧
だが詠み手の工夫であろう。一日を門扉ときちんと閉めて月を
見て終わる。それが良い。


柳原美知子句集「島の春」に思う/高橋正子

     
   二男悠二郎小学三年
連れ帰りし風邪引きの子の機嫌よく 

大学を卒業して英語教師となり、結婚後も、子育ての時もずっ
と教師として熱心に教育に携わってきておられますが、子ども
が病気のときは、特に教師を続けるかどうか悩みを抱えるもの
です。預けていた風邪引きの子どもを連れて帰り、母のもとで
機嫌よくしていてくれることは、どんなに気が楽になることで
しょうか。

蕗ゆでて野のかおり満つ真夜中に

昼間は、教師としての勤務があるので、主婦としての仕事は真
夜中になってしまうことがあります。蕗をゆでている真夜中の
ひと時に、蕗のかおりが満ち、まるで野にいるかのような安ら
ぎをもたらせてくれています。

鰯雲島中の空埋め尽くし

島中の空は、言うなれば、島を巡る球形の空です。限りなく広
がる空に、限りなく鰯雲が並んで、空に寄せて、のびのびした
大きな気持ちが広がっています。

夫に子に善哉作る幸せを

ことことと小豆を煮て、夫や子どもたちに善哉を作っている静
かな一日。教師ではなく、母として妻として過ごせる時を幸せ
と感じる慎ましさに、昔ながらの日本女性の変わらぬよさが読
み取れます。

   夫博の手術
鵙鳴いて術後の空気澄みわたり

手術後の生々しさと安堵感が、けたたましい鵙の声と、澄みわ
たる空気に十分に表されています。「澄みわたり」と言い切っ
た強さに、美知子さんの芯の強さを見る思いです。

車椅子の母と芯まで落花浴ぶ

「芯まで」は、体の芯まで、心の芯までということであり、落
花を限りなく浴び、母と娘の時間がいつまでもあることを願う
気持ちが切ないまでにあります。

   定時制高校
荒星を数えておれば子ら登校

定時制高校に通ってくる生徒たちは、個人や家庭の事情を抱え
ているものが少なくないのですが、その生徒たちが登校してく
るのを、空を見上げ、星を数えながら待っています。生徒を待
ち受ける、やさしく大きな母のような心が、こここにあります
が、生徒にとっては、教育にとっては、母のような心こそが大
切なのでは、と思い至る句です。

初栗の輝き分け合う職員室

職員室の教師たちのなごやかな雰囲気が、豊かな季節感をもっ
て詠まれています。初栗に寄せる懐かしさ、暖かさは、人間教
師としての一面を見せています。

秋晴や漁船に小さき椅子二つ

この句を最初読んだとき、なんとのびやかな、あたたかい光景
だろうと思っていましたが、今もその印象は変わりません。朝
の漁を終えた漁船が、秋晴れの空の下に、潮に緩やかに揺れて
います。小さな二つの椅子は、そこに座る人の語らいを待って
いるかのようです。

窓の外に海と桜と触れ合えり

窓からは、瀬戸内の海が見えるのでしょう。窓の外に目を遣れ
ば、満開の桜の枝が海に触れています。そんなに海に近く桜が
咲いて、海と桜の美しさに出会いの妙があります。

虎杖の太き一本谷へ伸ぶ

虎杖は、春の野草のなかでも、文人好みの色や形をしています
。さ緑の茎にある紅色の斑点、赤い葉の色、そして節のある茎
。谷へ一本たくましく伸びた虎杖に、みずみずしい生命を感じ
させてくれます。

詰め放題ビニール袋に空豆鳴らし

主婦の生活をそのまま飾り気なく詠んだ句ですが、詰め放題と
言えばありがたいことですし、それに乗ってみるのも楽しいこ
とです。「空豆鳴らし」にみどりの初夏の楽しさがあります。

雲流る空を降りくる赤とんぼ

「雲流る」、「空を降りくる」に横と縦の繊細な動きが詠まれ
ています。牧歌的な秋雲と、そこから降りてくる赤とんぼは、
なにかを伝えに降りてくるようです。


古田けいじ句集「木の実独楽」に思う/高橋正子

 けいじさんの句を読み通して、もっとも強く、一貫して現われて
くるのが、「平和への思い」です。白桃を食卓に置いての団欒、幼
子へ回してやる木の実独楽、妻とたらめを摘む季節の楽しみ、通り
すがりに見る花屋やパン屋、合唱に託される思いなど、平和であれ
ばこそ叶えられることであり、平和の景色なのです。この平和には
、多くの犠牲が払われたこと、平和は恒久でなければならないこと
などへと思いが巡ります。本当の意味のヒューマンな俳句と言えま
しょう。
 
   孫康介誕生
 梅雨明けの雲掴むごと新生児

 みどり児はもって生まれた力で、手足を元気に動かしている。
「雲掴むごと」には、男児の勢いと新生児の柔らかさが併せて表現
され、健やかな成長が楽しみ。
 
  アンネ・フランク展
 咲きかけの黄薔薇とアンネ・フランクと

 アンネ・フランクに薔薇を添えるとしたら、黄色の薔薇が相応し
い。これから咲こうとして、パウダーのかかったような無疵の花び
らが、自己の気品をほどいていく。黄色い薔薇は、アンネの実在の
姿に重なる。

 蒲公英の絮誰からの精密図
 
 蒲公英の絮をじっと見ていると、その造化の不思議に魅せられる
。完全な球形、完全な種の姿。いかにも、精密に描かれた図のよう
である。ふと誰が描いたものであろうかと思う。キリスト教的イメ
ージがある。

  松尾繁さん逝く
 げんげ田の見える道行く棺かな
 心からの「やさしさ」と「かなしみ」が伝わってくる。たましい
の冥福を祈るのに充分な故郷の葬送で、多くの言葉はいらない。

 閉店のパン屋のバラはまだ紅く

 パン屋はもう閉まって静かになっているのだが、ショーウィンド
ウには紅いバラがきらきら輝いている。パンの香ばしい匂い、その
色、紅いバラ、それらを照らす照明など、いましがた過ぎた美しい
時を思い起こさせてくれる。心のさゆらぎの中に、一本のバラを咲
かせている。

  信濃路へ入るコスモスを揺らしつつ

  信濃は今の長野県のことであるから、けいじさんの住んでいる名
古屋から信濃へ車で向かっているとき、コスモスも咲いて、ここか
らは「信濃路」だと思うと、目的地への期待が膨らむ。レベルの高
い句。 

  菊活ける陽への傾きあるままに

  陽に向いて咲いている小菊を切り取って、活ける。枝のなりに花
瓶活けると、今も陽を受けているように、菊は明るく咲くのである。

  木の実独楽歩き始めし子へ廻す

 歩き始めた子は、木の実独楽を、「なんと不思議なものだろう」
と思ったのに違いない。興味津々の無垢な子どもとふれあう心があ
たたかい。

  流れ星穂高の峰を渡りけり

 「穂高」の澄み渡った空を星が流れる。峰と峰が間近いのだろう
。空を流れる星は、次の峰の向こうに落ちていった。そのしじまの
星のきらめきを思う。


水煙合同句集「橘」あとがき/高橋正子


 水煙の創刊は、昭和五十八年九月のことになりますが、その編集
を担当しており、このころは、私的にも大変多忙で、思い出の多い
時期でした。長女句美子が誕生し、長男の元は三歳で、主人は、学
会の理事をしておりました。それ以来、学生や外国から俳句の勉強
に来られた方、地元愛媛のかたなど多くの方との交わりがありまし
た。
 今年は水煙創刊二十周年にあたり、記念事業の一環として、水煙
俳句叢書を、信之先生の第三句集『旅衣』を第一集として、四月よ
り刊行を続けて参りました。本号の水煙合同句集『橘』を第十二集
として水煙叢書第一期の句集刊行が完結いたします。第一集より、
大勢の方が句集へのご感想などお寄せくださり、それぞれの方の句
集が輝くことができました。ご支援に心よりお礼を申し上げます。
念願の、水煙としては初めての合同句集『橘』の名は、水煙各賞の
一つ、「橘インターネット俳句賞」の「橘」より採りました。一一
九名の方にご参加いただいております。水煙は昭和五十八年に、高
橋信之先生により松山で創刊されましたが、平成八年、ホームペー
ジ「インターネット俳句センター」を開設することによって、文字
通り日本中から、句友の皆様にご参加いただくことによって、一層
の力を得、また新しく発展しようとしています。句集に掲載の句は
、それぞれの方の代表句でもあります。日本の風土から生まれた、
個性ゆたかな句です。家族のこと、自身のこと、職場のこと、行事
のこと、あるいは突然の災害のことなど、さまざまが詠み込まれて
います。「よい俳句は、よい生活から」、「明るくて深い現代語に
よる俳句」、「細く長く」という信之先生の教えを実践して参りま
した。その二十年の結果がこの合同句集と言えます。
 また、この句集は、印刷・製本は、「NPO法人水煙ネット」で行い
、表紙カバーの印刷、装丁、用紙の調達は、青葉図書にご依頼する
という新しい形を採りました「NPO法人水煙ネット」の印刷・製本
の意味は、水煙に参加している方は全員が個人句集を持とうという
願いからです。パソコンによって、印刷が簡便にできるようになり
、また、ドイツ製の簡便な製本機によって、手作りの句集の製本が
可能になりました。句集としての値打ちがあるものとなることを願
っています。青葉図書からは、国際図書番号(ISBN)をつけていた
だき、立派に市場に流通し、検索できる本となりましたことを感謝
申し上げます。また、この句集の編集・レイアウト・印刷・製本は
、信之先生が一手に、楽しみながら引き受けてくださいました。こ
こに無事句集が誕生しましたことを信之先生初め、青葉図書村上和
興専務のご尽力に感謝し、句友の皆様と共に喜びたいと思います。

平成十五年十一月


祝恵子句集「藤棚」に思う/高橋正子


 蒲公英の数本は吾が影へあり
 
 なんとやさしい句だろう。自分の座っている影のなかに蒲公英の
数本が入っている。日向にある蒲公英に比べて、自分の影の中の蒲
公英は日陰っている。この明暗の差にある違いに作者の思いがある。

 雲雀あがる雲の白さにくっきりと

 雲雀が揚がり、白い雲の中に本当にくっきりと見届けられる。白
い雲に清潔感があって、雲雀を見届けたうれしさが、素直に表現さ
れている。

 めだかうまる光にふっと浮かびつつ

 めだかを飼っていると、めだかの誕生を目の当たりにすることが
できる。めだかの透明な体は、水面の光りのなかに、一粒の光りの
ように生まれてくる。小さな命の誕生に目を凝らしている。

  茨木市バラ公園
 乳母車バラの香りの中を押す

 風に揺れるバラの花の咲く道を、乳母車を押してゆくと、馥郁と
したバラの香り。天国の花園にいるような品のある句。

 手に余るほど児はたんぽぽを摘んでおり

 たんぽぽ摘みに夢中になっている幼子の様子が愛らしい。ふっく
らした手にあまるほどのたんぽぽは、無垢の象徴。

 水仙の目線にあれば香りくる

 目線の位置から、すっと真っ直ぐ水仙のいい香りが届く。香りが
たゆたわず、すっと真っ直ぐ届くところが、水仙の花らしい。

 大根の白さを今日もまな板に

 冬の間の食材として欠かせない大根の白が、目にみずみずしい。
また今日の新しい白となって刻まれる。日々の新しさがさわやか。

  小倉
 一村を抜けて春田の畦に出る

 人家のある一村を抜けると、若草の萌える田の畦に出た。故郷の
田の畦であろうか。畦に立てば、ふっと昔に立ち返るような思いが
する。思いが広く湧いてくる。

  摂津
 鍬一つ囀りつづく田に残る

 耕された田が広々として、小鳥の囀りが止むことがない。気づい
て見ると、鍬が一丁、柄も湿って、田に置き忘れられている。時の
経過が今にしっかりと焦点を当てて詠まれた。

  摂津
 田水張る波紋は草を揺らしつつ

 観察の目がゆきとどいて、田水が張られて田が息づく様子が細や
かに表現された。

  茨木市流通センター
 酸素張り袋の金魚を積みて売る

 ビニール袋に、水をほどほど入れ、酸素を袋が張るほど入れて、
金魚を売っている。それを、水風船でも重ねるように積み重ねて売
っている。きらきら光る金魚であるけれど、どこかあわれ。

  摂津
 植田には水の出入りの音つづく

 植田には、いつも水があるが、入る水と、出る水とが静かに動い
ている。その出入口には静かな水音が絶えない。

 児は透けし袋に水着持ち帰る

 泳いだあとの幼い子どもが、透き通った袋に水着を入れて持って
帰ったというのであるが、なにもが愛らしい。濡れたままの幼子の
髪、かわいい絵柄の透き通った袋、それを持って歩く様子など。

 しゃぼん玉垣根越えゆき風となる

 しゃぼん玉は吹かれていって消えるものであるが、消えるのでは
なく、姿の見えない風となったのである。風となって風と一緒に吹
かれてゆく。しゃぼん玉は風となって命を新しくしたのである。

 冬瓜の清しき白をサクと切る

 冬瓜の大きく単純な形と色。中もさっぱりとした白。「サクと」
に作者の感じたすべてがあって、「サクと」切られるのに相応しい
冬瓜をうまく捉え、単純かつ的確で清潔な句である。


平田 弘句集「翔ける」に思う/高橋正子

 梅林を透す日差しが空の色

この句のポイントは、「日差が空の色」にある。「梅林の日差」こ
そが「空の色」というのだ。空を含めた梅林のきよらかな雰囲気が
よくでている。

 五月雨に流れ清めし神田川

 神田川の固有名詞がよくきいて、「清め」の感覚がいきている。

 蓮根掘る節を連ねる逞しさ

蓮根掘りは、大変な力仕事。冷たい泥底から節を連ねて現れた蓮根
は、逞しく、鉛色である。蓮根も、蓮根を掘る者も逞しい。 

 白粉の花を銜えて軽く吹き

 小さいが、ラッパ形をしている白粉花を銜えてみて、軽く息を通
した。白粉花のいい香りが鼻先をくすぐり、花から小さな音さえ生
れそうである。

 あかず観る久方ぶりの満月
 東京は、きれいな満月なのですね。「あかず観る」は、その他の
形容をわすれさせるほどの、美しい月ということですね。松山は、
空は真っ暗です。虫が良く鳴いています。

 花束の中より散らばる実千両
 正月用の花束であろう。実千両も束のなかに。その花束より千両
の実がこぼれて散った。その驚きと、その可憐な実の鮮やかさが印
象的で、心が軽い。


下地 鉄句集「伊集の花」に思う/高橋正子

 お遍路の鈴はればれと山をゆく
 お遍路さんの鳴らす鈴の音が、「はればれと」しているのがよい
。はればれとした心である。平坦な地ではなく、山道であるから、
お遍路さんも、通りすがりの作者も、心の深いところで触れ合って
行き違ったのであろうと思われる。                 

 受け継ぎし俎板ありて瓜刻む
 「瓜刻む」にしっかりと生活が詠まれていて、風土が感じられる
。また、受け継いだ俎板に、その家の生活の歴史があって句を深く
させている。

 冬ごーやー濃き緑をばぶつ切に
 苦味のある「ごーやー」。冬の濃い緑の生命力の逞しさ。それを
ぶつ切る力の強さ。迷いがなく、力強い。

 マンゴーの陽から貰いし甘味かな
 マンゴーの色を見ても、食べてみた味も、太陽が育んだものに違
いないという実感が湧いてくる。

 滴りに母呼びつ果て壕の戦友
 「滴り」に、暗く重いい気持ちと、それを通り過ごしてきて得ら
れた澄んだ気持ちの二つが感じられます。私は被爆2世ですが、戦
後も六十年になる。

 海鳴りの遠くにありて沖縄忌
 「沖縄忌」は、6月23日で、「沖縄慰霊の日」である。沖縄に
住み、戦争を体験した作者は、遠い海鳴りに、沖縄戦についての特
別な思いを蘇らせていることであろう。日本人が忘れてはならない
日である。

 揚げ雲雀一声ずつに空の澄む
 雲雀が一鳴きしては、空の高みへと揚がっていく雲雀の生態がよ
く捉えられている。雲雀が鳴き澄ます空は、やはり沖縄の濃い青空
であろう。揚雲雀の羽ばたきまでが見えるよう。

 麦畑風の形に揺れうごき
 麦畑が風のなすままに揺れて、風の形をあきらかに見ることがで
きる。ひろびろとした麦畑を吹く風の心地よさが伝わってくる。

 守宮鳴く人の恋しき夜となり
 「守宮鳴く」は、作者によれば「ジジジ」という鳴き方だそうで
ある。灯に集まった虫をとりに来る守宮も、灯を慕う生き物である。
その鳴き声でしんとした辺りに気づき、人恋しさを覚える。

 風鈴のさそう夜明けの青き風
 夏の夜明けのすがすがしさが、「青き風」として捉えられた。ほ
どよく鳴る風鈴の音を聞きながら過ごす時間に、心の高さがある。

 コスモスの揺れ合いながら陽を送り
 コスモスの花が群れ咲いて風に揺れ、陽を空へ、向こうの方へと
送っている。コスモスが咲いているのは、なだらかな丘であろうか。
 
 遠き日の茉莉花かおる旅の空
 茉莉花は、ジャスミン。南アジア原産のこの花のそういった雰囲
気と香りをもつ。旅の空にいて、茉莉花の花の匂いに、作者の遠い
日が蘇った。

 竜胆の青しかとあり枯れの壷
 壷に活けたその他の花は色を失っているが、竜胆の花は、枯れな
がらの青い色をしっかりと残している。すざましい生と言える。

 湯気立てにころころ滾つ茹卵
 ストーブの上に鍋などに水を張ってのせ、湯気を立てて部屋の乾
燥を防ぐことは、少し前までは、私もよくした。茹卵を茹でるのに
ちょうどいい。「ころころ滾つ」は、茹卵の状態が見えて、静かな
生活が覗える。

 外套の裾の吹かれて街しろし
 外套の裾を翻す風に、街がしらしらとして見える感じを詠んだも
ので、街は作者の心象風景となっている。しらしらしているのは、
むしろ作者の心境。

 花曇り背筋伸ばして歩こうか
 沖縄では、花の季節となっている様子。花の季節になったので、
曇り空の下も、もう寒がらないで、背筋をのばして歩くこうか、と
いう独白。あるいはこれから、しっかり背筋を伸ばして暮らそうと
いう決意が見える。

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水煙ネット