句集のあとがきA/水煙俳句叢書

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堀佐夜子句集「はなむろ」

 俳句は私にとって、今は生き甲斐の一言につきます。 
 俳句を始めたのは丁度八年前で、それまで俳句とは全く縁の無い年月でした。日々
の暮らしの中、まして生まれ育った環境は俳句とはほど遠いもの。 信之先生はじめ皆
さん御存じの通り、私は障害者(脳性マヒ)です。昔は就学免除があり、十一歳まで
学校へは行けませんでしたが、どうしても行きたくなり、編入と云う形で義務教育だ
けは受ける事が出来ました。学校は楽しかったです。親が心配だったいじめもありま
せんでした。
 生活の為、煙草屋と駄菓子屋をやり、結婚して夫幹夫の趣味でもあるカメラ店に変
え、昭和も終り、平成になってバリアフリー式の家も出来たとたん、幹夫の大病で店
を閉める羽目に成ってしまいました。そして毎日何もする事も無く、これで良いのか
しらと、子も無く、このまま老いていくのは嫌だと思っていた時に、ふとしたきっか
けで俳句と出会い、はまってしまいました。
 平成七年頃でしょうか。摂津文化センターで月一回開かれる句会に幼馴染のお友達
と姪に頼んで連れて行ってもらいました。二人とも嫌な顔ひとつせず本当に有難い事
でした。そうこうする内にテレビでインターネットを知り、早速パソコンを購入しま
したが、初めてのことばかりで、それこそてんやわんやでした。それでも、周りの人
々に助けられながら、俳句にパソコンにと毎日楽しく過せ、こんな嬉しいことは有り
ません。つくづく生きていてよかったと思います。高齢者や障害者にとっては、イン
ターネットや俳句は生き甲斐に良いと思います。やろうとすれば何歳でもやれるので
す。プラス思考で行くしかないのです。
 主宰高橋信之先生、正子先生より、「水煙二十周年記念事業」の一環として句集出
版のお勧めを頂いたものの、句集という形になって自分がはっきり見えてくることに
少なからず恐れと戸惑いがありました。しかし、この機会を逃すと俳句を始めた証に
句集が欲しいという目的が達せられないのじゃ無いかとも考え直し、両先生に全てを
お願いする事になりました。
 高橋信之先生の「水煙」にお世話になったのは平成十年八月頃と記憶しています。
五年間、右も左も解らない私をご指導して下さった両先生や優しくはげまして頂いた
句友の皆様に支えられながら句集上梓が出来ました事改めて厚く御礼申し上げますと
共に、今後とも細く長くご指導下さいます様にお願い申しあげます。


安丸てつじ句集「青滴る」

 俳句の道に入ってから足掛け六年になる。きっかけは新聞記事で読んだインターネ
ット俳句である。まだインターネットも普及し始めて間もない頃であったが、いち早
くネット句会を立ち上げ、全国はおろか海外にも同好の輪を広げられた高橋信之・正
子両先生の着眼と実行力には敬服のほかない。先生がインターネット以前から発行さ
れていた俳句雑誌「水煙」の同人にもして頂いた。
 自分自身は今もってビギナーと思っているが、毎週欠かさず投句を重ね、毎月の水
煙誌に掲載頂いた分だけでも五百句を下らないまでになった。今回先生からのお薦め
を受け、逡巡の気持はあったが、水煙創刊二十周年記念行事の叢書刊行の機会に思い
切って句集をまとめることにした。
 高橋信之主宰には、身に余る序文をお寄せ頂いた上、編集についても全面的にお世
話になった。この句集に多少とも興趣があるとすれば、一重に先生の適切でしかもユ
ニークなご助言に依るものである。
 私は定年を挟んで二度の会社員生活を体験しているが、一貫して繊維関連の仕事に
携わって来た。前半は化学繊維メーカーで、主として糸や生地の輸出を担当した。こ
の間、米国、台湾と二度にわたる駐在員生活と、三十余か国に出張する機会を得た。
当時からこの道に入っておれば海外詠の束を作れたであろうが、情けないかな後の祭
である。水煙同人になってから句友の海外詠やその句集に触発され、往時を回想して
詠んだものから幾つかを選んで冒頭の回想句とした。それぞれにコメントもつけた。
 後半生では婦人子供物を主体とする大手通販会社に籍を置き、ファッション小売業
の日々を目の当たりにする幸運に恵まれた。会社からは既に身を引いているが、新規
に立ち上げたデジタル方式の衣料プリント工房を同社から任され、自立した形で運営
している。このような事情で、どうしても車内や町角で見掛ける服装やその柄・色に
目が行ってしまう。歳不相応(?)のファッション俳句が生まれた背景である。
 信之先生はご専門のドイツ語で正子先生はお得意の英語でHAIKUを嗜まれ、ユ
ネスコをはじめ国際交流にもご熱心である。私が水煙に惹かれる所以の一つである。
句集の結びに英語俳句集を置いた。折々の習作であるが、正子先生の懇切なご指導で
何とかそれらしき形になったものである。
 信之、正子両先生のご厚情には感謝してもし切れないものがある。
 印刷・製本は、株式会社フェリシモにお願いした。先述の通販会社であるが、同社
所有の最新鋭機で印刷頂いた。お忙しい中、快諾実行頂いた同社DCM部長森口和樹
氏に心からの謝意を表したい。
 なお、カバー表紙のつたない絵とレイアウトは、コンピューターグラフィックを使
った私の自作自演である。


野田ゆたか句集「行く春」

 このたびの「水煙創刊20周年記念事業」の叢書刊行に加えていただき身に余る光
栄と感謝致しています。
 私の俳句は、昭和37、8年ころ勤務しておりました大阪府警察の職場俳句への参
加が始まりで、退職する平成10年までは俳師を持たず、各種俳句誌、歳時記などを
教材として、折に触れ有季定型句を文語旧仮名遣いで詠み、誘われるままに結社、グ
ループを問わず句会に出席すると共に、「九年母」故、前主宰の五十嵐播水先生が選
者をされていました職場機関誌の俳句欄に投句、各種公募俳句に応募するなど趣味の
一つとして俳句を楽しんでいました。
 この間、詩情の広がりを第一義とする無季俳句の魅力、或いは形式にとらわれない
自由律俳句や日常語で読める口語俳句の新鮮さに魅せられて、これらの句を詠んでい
た時期がありましたが、これらの俳句では、いずれも行き詰まり作品と言える句を詠
むことが出来ずに作句を止めた時期がありました。しかし作句を止めていると妙に、
職場機関誌に登載される俳句や各社新聞の文芸欄の俳句が気になり、また俳句を始め
ようとその都度、気持ち新たに俳句入門書などを読み直し、俳句の原点、松尾芭蕉の
句の世界に戻り、いつしか有季定型の文語俳句を詠んでいました。
 水煙との出会は平成11年で、退職後、私の進むべき道を模索していた折、長男が
愛媛大学に在学中、ドイツ語の講義を頂いた高橋信之教授が、水煙を主宰されている
と知り親しみを覚え、インターネット上で水煙作品を鑑賞させて頂いていて、主宰を
はじめ、会員の多くの皆様が詩情豊かなに現仮名遣いで句を詠んでおられるのを見る
につけ、私もこのような句を詠みたいとの希望を持って、高橋信之先生の門を叩き、
参加を許されて依頼、作句の都度、日々開かれているオンライン句会に出句して今日
に至っています。
 高橋信之先生は、師系の祖、臼田亜浪の流れを汲む水煙俳句を説かれる傍ら、俳句
は、「楽しく・明るく・深く」、「細くとも長く」「生活が良くなければ佳句は詠め
ない」等々と同人、会員を諭されています。私は、定年退職後、私を育ててくれた職
場組織に感謝し、これまで御礼奉公的に勤めた非常勤職も平成15年3月末に退き、
余生の域に達しましたが、俳句作家の平均年齢が70才とも72才とも言われる今
日、私にはまたまだ時間がありますので、今後とも、良い生活に努め、楽しく長く、
生涯学習として前向きに水煙俳句を学んで行く所存です。
 この書の入稿に当たっては、俳句を始めてから句会や職場機関誌の文芸欄取り上げ
られるようになった昭和40年から劇症肝炎で入院分限休職に至った昭和63年まで
を第1部、肝炎完治復職の平成元年から定年退職の平成9年までを第2部、退職後の
平成10年から平成14年までを第3部としてまとめ、第1部、第2部の時期の句
は、大部分が旧仮名遣いで詠んでいましたので、推敲し直し漢字をワープロ第1水準
・第2水準の範囲に改め、現仮名遣いに統一しました。
 最後になりましたが、この書の出版に当たって、ご指導くださいましたました高橋
信之先生、高橋正子先生、水煙事務局記念事業叢書刊行にご尽力頂きました藤田洋子
同人、アドバイトと労力を頂きました東京四季出版の高橋由季様に心より御礼を申し
上げ「あとがき」とさせて頂きます。


柳原美知子句集「島の春」


 このたびは、水煙創刊二十周年記念事業の一環として刊行される水煙叢書の中に、
この書を加えていただき、身に余る光栄と感謝致しております。
 私が「水煙」に出会ったのは、昭和六十三年、三十代最後の年でした。教員生活と
育児に追われる忙しい毎日の中で、押し流してきた日常生活での様々な思いを何かに
託したい、という気持が芽生えました。そんな時、当時勤務していた今治南高校で、
親しくお付き合いしていた井上ミツさんを通して「水煙」を知り、それまで私が俳句
に抱いていたイメージとは全く異なった、詩的で透明感に溢れる「水煙」の俳句に、
強く惹きつけられました。その年の十月に「水煙」に入会して以来、十五年の歳月が
流れました。毎月の投句や月例句会を通して、主宰高橋信之先生から情熱溢れる御指
導をいただき、先生の「季節を詠むということは、そのときどきを生き生きと過ごし、
日常の生活を充実させること」というお教えを心に刻み、句作を続けてきました。奥
様の正子先生からも、いつも温かい励ましのお言葉や細やかな御指導をいただき、句
友の皆様の個性豊かな俳句に学び、今日に至っているのはありがたいことです。
 まだまだ浅学の身ですが、この書を出発点とし生涯俳句を学びたいと思い、出版を
決意しました。この書では、昭和六十三年から平成十五年までの期間を、勤務してい
た学校ごとに区切り、今治南高校時代を第一部、大島高校時代を第二部、現在勤務し
ている今治西高校定時制での教員生活を基盤とした句を第三・四部としてまとめまし
た。
 題名「島の春」は、「門ごとに獅子舞来たり島の春」から採りました。平成五年、
今治からフェリーで二十五分の大島にある大島高校に転任し、四年間通勤しました。
この間は、夫の単身赴任、同居していた姑の病気療養、平成七年には夫も病気で入院
するなど、私にとって多難な日々でした。それだけに、フェリーから眺める四季の海
の変化やいち早く季節の移ろいを感じさせてくれる島の自然の美しさは身に沁み、島
四国八十八カ所巡り(四国八十八カ所に準じたもので、毎年旧暦三月十九日から二十
一日の三日間行なわれる)のお遍路へのお接待などに見る島人の温かさに、心慰めら
れました。島の自然や風物、学校生活などを詠むことで、明日への希望を見出し元気
が生まれ、俳句の癒しの力を痛切に感じた日々でもありました。
 俳句は私にとって、自身を再生させてくれるものであり、原点である写生に立ち返
り、日々新たな発見を楽しみ、細く長く詠み続けていければと願っています。
 最後になりましたが、この書の出版に当たり、編集の労をお採りいただき、序文を
頂きました高橋信之先生、「跋」を頂きました高橋正子先生に、心より御礼を申し上
げます。また、青葉図書専務の村上和興氏には、出版に御尽力を頂き、厚く御礼を申
し上げます。
  平成十五年  八月


古田けいじ句集「木の実独楽」

あとがき
石楠花の咲いて静かに雨が降る

今から数えて四十五年前、私の中学三年生のときの俳句です。
記憶力が頓に減退している今でもどうしたわけかこの俳句だけは不思議と覚えていま
す。
美濃の国の山の中の、一学年二十八人しかいない中学校の、玄関脇に植えられていた
石楠花の姿は今でも、この俳句を思い出すと鮮やかによみがえってきます。短冊があ
るわけでもないのに、私の脳の小さな引き出しに、失せもせず残っています。詠んだ
時は、小さな感動であっただけなのに、俳句の形になると、その感動も永く消滅しま
せん。俳句のもつ本当に不思議な力です。

一九九八年二月、ふとしたきっかけで信之先生、正子先生の「水煙」、「インターネ
ット俳句センター」に巡り会いました。俳句の何たるかも、結社の何たるかも知らぬ
まま、とにかく、目にした小さな感動を五・七・五の形にして、「インターネット俳句
センター」の掲示板に書き込みました。
投句してから、先生なり句友の皆さんからの感想(コメント)が、その日のうちか、
遅くても翌日には返ってきます。そのスピード感溢れるやり取りが魅力的でした。ま
た、自分が感動して詠んだ句は、句の巧拙に関わらず、選者である先生や句友にもそ
の感動が伝わり、小さな感動を共有できることもまた魅力的でした。
 私の場合、今までのいわゆる結社と違って、主宰の先生と直接顔をあわせてお話を
する機会は、年に一回の水煙大会だけです。インターネットを通じての師弟関係は、
従来の結社のそれに比べて希薄と思われがちですが、水煙のようにこれだけ頻繁に主
宰と「話」ができ、毎日のように「座」を持つことができる結社は日本広しと言えど
もないでしょう。
「いい生活からいい俳句が生まれる」という先生の教えは、「水煙俳句」の真髄をあ
らわしている言葉です。作句がスランプのときは「いい生活」をしていないときであ
り、俳句を通して自分の生活を振り返っています。

生来、飽きっぽい性格で、我慢強くもない私が、俳句を五年間作り続けておられるの
は、文字通り寝食を忘れ、献身的に「水煙」の運営・管理に当たっていただいている
信之先生と正子先生のおかげのほかの何ものでもありません。又、両先生の元に集ま
っている全国各地の句友の皆さんとのつながりも私を勇気付けてくれました。
このたび思いもかけず、信之先生から句集の発行のお誘いを受け、とてもそのような
レベルではないといったんはお断りしましたが、「水煙」二十周年という記念すべき
年でもあり、両先生のお手数を煩わせ発行することとしました。信之先生には序をい
ただき、正子先生には跋をいただき、つたない句集に光りを添えていただきました。
「水煙」のモットー、「明るく深い俳句」には程遠いものばかりですが、五年間の小
さな感動のまとめとし「細くとも永く続ける」ための出発点にしたいと思います。

二〇〇三年十一月十四日  六四才の誕生日に

                            古田けいじ


祝恵子句集「藤棚」

あとがき

 水煙との出会いは、平成十二年八月、水煙関西大会へご近所の堀佐夜子さん(水煙同
人)とご一緒に、大阪城近くのホテルで、高橋信之、高橋正子両先生と直接お会いでき、
何も分からぬまま会員の皆様と同席させて頂き、緊張の連続で、先生方や皆様にお気遣
い頂いたことを思い出しております。その時、「空堀をのぞけぱ深し蝉しぐれ」の句を
賞にお取り頂き、これならば出来るかも、と嬉しかったものです。紹介時に、主人の元
先輩の方との出会いがあり、奇遇に驚いたものです。
 その後インターネット水煙に投句するようになりました。六十歳にまもなくなるころ
です。文章作りが苦手な私にも、五・七・五の短文で、俳句が表すことばの広がりに、
とても魅力を感じております。句集出版を主宰に勧められまして、自選句を選んでいる
うちに日記代わりになっていることが分かります。孫たちの出産、兄の突然の計報、家
族の記念日、主人との旅行、等です。作句始めたときはもう三番目の孫が誕生したとき
で、上の子の誕生を句にすることはできずに残念です。孫も四人になり子供達の句が多
くあリますが、よそのお子達にも自然と目がいき.微笑んでしまいます。四季おりおり、
四方を見渡すようになりました。吟行も一人で出かけることが多くなり、句作につまる
と、千里の万博公園ヘモノレールで出かけます。日曜などはガレージセールでにぎわい
ます。
 いつも主宰がおっしゃる「細く、長く、明るく」は難しいことですが、つたないなが
ら、日課として句を詠んではおりますし、続けていくつもリでおリます。先生、皆様、
今後ともご指導<ださいますようよろしくお順い致します。句集出版に際し、高橋信之
先生には「序」を、正子先生には「跋」をお書き頂き心より感謝致します。まことに有
難うございました。

  平成十七年五月


下地鉄句集「伊集の花」

あとがき

 俳句を始めたのは連れ合いに先立たれ、それへの思慕からで早4年過ぎました。 いま
では、作句より先生方の名句鑑賞読む方を楽しんでおります。 今度薦められる侭に句
集発刊しますが改めて読み返すと駄句ばかりで冷や汗かいています。それでも心ある友
や,身内の者から喜ばれると満更でもありません。 特に娘からの言葉が嬉しくここに
載せて先生方へのお礼の言葉に代えさせていただきます。       (下地 鉄)
 
 ”俳句集”発刊おめでとう御座います。”えっ,お父さんが!どちらかというと昔文
学教師だった母のおはこじゃない? なんて思っていた私が父の俳句を読んでいくうち
に母との辛い悲しい別れを静かで美しい思い出に変えて行く俳句に今では嬉しさを覚え
ています。 不精者の父がなんとか続けていけるのは先生方やネットの句友様方のお陰
と思い感謝しています。これからも宜しくご指導下さい。      (田端あぐり)
 平成十七年七月


平田弘句集「翔ける」


 戦記は残しておきたい。地名も名前も戦闘記録も時とともに薄れてゆく。ただ戦記は
往々にして手柄話に陥りやすい。そこで記憶をたどれるものを目指し第三中隊秘史とし
て小冊子を配った。十七年前のことです。
 水煙の俳句の御蔭で高橋信之先生、正子先生と巡り会い自分史を作る意思を問われ、
両先生に見て頂けるなら、これ以上の幸せはないと作ることに踏み切りました。
 俳句は作りながら覚えるもの、まだ二年足らずで句集とは面映ゆい限り、と言っても
齢八十四では出来る事なら大方のご批判が聞かれる内との思いもあり,あえて作ること
としました。芭蕉記念館での東京吟行に初参加し両先生にお目にかかってから半年しか
経っていません。
 中学四年の時、英語が出来なくなった。縁あって語学将校「江本茂夫さん」の個人指
導をうける。月謝なしで田園調布のご自宅で、たしか夏休期間だけだった。和英テキス
トを渡され本人が一生懸命で訳したものを、尊重し,活かしながらの指導で英語の成績
が一変しました。江本先生は徳島中学の出身ときく。水煙でのご指導が江本先生と一脈
通ずるものを感じました。


水煙ネット